投げごまの歴史

みんなが遊んでいる普通のこま、投げごまは江戸は元禄時代までありませんでした。

それまでは地面でまわるこまでした。

元禄13年の頃、上面が平たく、鉄の心棒が上下につらぬき、ロクロにかけられた、

中の字型の足長ごま(基本的に現在と同じ形)が、九州は博多地方で考え出されました。

この形を総称して博多ごまと呼ばれるようになった所以(ゆえん)です。

でも、現在では一般にはそうは呼ばれていません。専門家の分類上の呼称として残っているだけです

また、福岡県無形文化財、「筑前博多独楽」は流派の名称です。

そのために、今までに比べて長時間、手に乗ってまわるようになり、それを見た人々はびっくりしました。

そこで街角で人々を集め、歯磨きなどを売る、客寄せの手段として使われました。

当時は、これが曲芸で、刀や扇子の上でまわすのは、もう少し後の話です。

当初は大変高価で、庶民のそれもこどもの手に渡るのは無理でしたが、徐々に浸透していき、

爆発的に流行しました。やはり、技ものは誰もが挑戦したくなり、

手本になるヒーローがいれば、人気が出るのは今も同じですね。

そして、この足長ごまは、おっちゃんの知る限り、不思議に外国には見当たりません。

投げごまはあるのですが、すべて九州のけんかごまのような、西洋梨の実型で、地面でまわします。

たたきごまの少し進化したところでとまっています。

底部に短く鉄芯がついており、地面でまわすか、けんかごまに使われる程度です。

けんかごまなら、相手のこまを叩き割る「九州けんかごま」でしょう。

韓国に最近ありますが、日本の影響でしょう。心棒が太く、先がとがっていて、手に乗せると痛くて技が限られます。

どうかみなさんも日本が誇る、この投げごまを習得して、外国の人に披露してください。

日本こままわし協会 会長 こまのおっちゃん

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